8月の営業予定

仕事の都合で名古屋を離れるというお客さんから一冊の本をいただきました。
Kさんは本業の傍ら詩人(それも現代詩!)としての顔も持っており、若手詩人仲間のアンソロジーを自ら企画して最近出版したとのこと。

現代詩、って読んだことありますかみなさん。
誤解を恐れずに言えば、多くの人にとって「わけのわからない文章」であると言ってしまって差し支えないかと思います。
正直私もよくわかっていません。
ただ、若かりし頃に一度わかろうとしたことがあります。

大学生の頃、まともに読んだこともないくせにただ「詩人」という響きのかっこよさに憧れて現代詩のサークルに首を突っ込んでみたのです。
結局深くのめり込むことのないまま短期間でフェードアウトしてしまったのですが、何度かお邪魔した部室にいた人のことは強く印象に残っています。

複雑な現代社会を器用に生きる、とか、稼ぐ、とか、そういうのとは別の(というか逆の)ベクトルで桁違いに頭脳明晰な人。
あるいは近年いきなり登場したHSPなんていう弱者の被害者マインドにつけ込……(自粛)……みたいな概念とは次元の違うレベルで感受性の鋭すぎる人。
わからないながらも「すごい」と感じる詩を書くのはそういう人たちでした。

一見よくわからない文章でもただデタラメに書かれたものではなく、当然狂人が書いたものでもなく、むしろ「どこか秀でている」人たちが己の持てる知性と感性を総動員して一語一語を配置し構成されているものだったわけです。
このことがわかっただけでも私にとっては大きな収穫でした。

頂いた本では15名の詩人の各作品に続いてお仲間による相互評が付されており、様々な読み方・解釈が提示されています。
私は先ほどから便宜的に「わからない」という言葉を多用しておりますけれども、相互評を読んでいると現代詩の解釈には必ずしも「正解」があるわけではないことがわかります。
ではどこまでも自由かというと、自由ではあるが自由には責任が伴うというか、「何度も丁寧に読む」ことが解釈の最低条件であるということも同時に突きつけられます。
「作品→相互評」
この構成はお見事でした。

現代詩の入門書はいくつか読んだことがありますが、『とある日』は現代詩に触れたことがない人が初めて手に取るにふさわしい良書だと思います。
そしてなにより、頭脳と感性の研ぎ澄まされた20代の若者たちが実利とは無縁の営みに今日も本気で取り組んでいるのだと思うと私はワクワクが止まりません。